自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

大学生なんてみんな『キョロ充』だ

僕は大学生なんて大半が『キョロ充』だと思う。

 まず、はてなダイアリーの『キョロ充』の定義を見てみよう。

 

キョロ充:大学生の生態の1つ。常に人の目を気にしながらも自分にはリア充グループの一員であるというアイデンティティに支えられ、大学生活が充実していると感じている人間。

一応リア充グループに属してはいるが、そのポジションは最下層に位置する。別名金魚の糞。また、キョロ充には大学デビューが多いとの報告がある。

 

リア充に属してはいるが、そのポジションは最下層に位置する。』とあるように、キョロ充はリア充からバカにされたような存在なのだ。

 じゃあそんなリア充はどういう定義がされてるのだろうか。

 

リア充:実際の現実の生活(リアル生活)が実している人間のこと。

  • 恋人や友人付き合いに恵まれる
  • サークル活動や飲み会へ参加する
  • オタク以外の趣味を楽しむ

正直アホか、と言いたくなるくらいリア充は曖昧な定義がされている。

 恋人がいる人間が幸せとは限らない。ただ自分の存在に対する漠然とした不安を埋めるために、現実逃避として恋愛に没頭している人だってたくさんいる。

 サークル活動や飲み会へやたら参加している人もそうだ。要するに暇でしょうがないから刺激を求めて騒ぐしかないのだ。

 実際に恋人がいる人、友達に恵まれている(ように見える)人、サークルや飲み会へ参加している人、オタク以外の趣味を楽しんでいる(ように見える)人に接してみたら、当人たちが必ずしも生活が充実しているという意識があるわけではないことは明らかだ。

 SNSの大学生の様子を見ているだけでも想像がつくのではないだろうか。

 いちいち自分のスケジュールをみんなに公表せずにはいられない者。

 楽しそうな写真を載せなければ自分が楽しいという自信のもてなそうな者。

 そんな人間ばかりでSNSが溢れている。

 なぜこのような人間たちが『リア充』と呼ばれ、羨望の対象となってしまっているのだろうか。

 僕は、その大きな原因は、あまりにも『リア充』と呼ばれている人たちとの接触が無さ過ぎるからだと思っている。

 隣の芝生は青く見える、と言われるように、往々にして他者を過大に評価してしまうのは人間の性だろう。

 きっと、そういった勘違いを持った人たちがネット上で集まり、『リア充』という概念を作ってしまった。

 そして一度『リア充』という概念が作られると、あいつはリア充だ、あいつもリア充だ、というように、『リア充』という概念が肥大化していく。

 こうして一部の陰気な人間たちによって形作られた『リア充』という概念は、その概念の肥大化とSNSの発達などによって、ほとんど全ての人間が使う言葉となる。

 『リア充』という概念の肥大化と広まりとともに、『リア充』という概念が内含している『となりの芝生は青く見える』という思考様式も、その言葉を使用する人間に強烈に根付いていったのだろう。

 そういった過程を経て、現在の大学生が『リア充』という言葉を連発している。

 ついでに、『リア充』という言葉が広がる中で、その反対の言葉、つまり『非リア』という言葉も生まれた。

 『非リア』とは『リア充』とは思えない人たちのことだ。

 ここにこそ、大学生の大半が『キョロ充』となってしまう大きな問題が存在している。

 『非リア』とは『リア充』ではない者であるのだが、そもそも『リア充』とは『隣の芝は青く見える』という過大評価から生まれ、それが肥大化し広まってきたものであるから、もはや『リア充』というのは現実に存在する人間を表す言葉ではなくなってしまっている。

 そうなると、《『リア充』でない者》とは、全ての人間に当てはまってしまう表現となってしまうのだ。

 つまり、全ての人間が『自分は非リアかもしれない』という不安に苛まれる。

 その不安を払拭するためには、常に『リア充』的振る舞いをする以外に道はないのだ。

 『キョロ充』とはそうした『自分は非リアかもしれない』という不安を払拭するために『リア充』的振る舞いを厳密にしようと力んでしまったがあまりに、目立ってしまう哀れな存在のことだろう。

 しかし、これはどれだけスマートに『リア充』的振る舞いをできるかという問題でしかなく、『リア充』的振る舞いをしようとしている大学生なんて、みんな潜在的に『キョロ充』なのだ。

 上述した、SNSに自分のスケジュールや写真を載せまくっている者たちは、『リア充』的振る舞いをするのに躍起になっている『潜在的キョロ充』なのである。

 そんな心性は、『リア充』の定義にあった、「オタク以外の趣味を楽しむ」という表現にも表れてしまっているだろう。

 オタク=非リアとは思われないような趣味を選んで、頑張って楽しもうとしているのだ。

 『リア充』とはこんなにも周りの目を気にした辛い存在なのである。

 まぁこんなこと言ってる僕は『キョロ充』なんだけどね。

 

~まとめ~

 現在の若い人たちが置かれている状況は

 『非リア』にならないように、現実から遊離した理想である『リア充』となるため、『リア充』的振る舞いをしようとしながらも、『キョロ充』のようには目立たないようにスマートに振舞わなければならない、非常にストレスフルな状況なのである。

 そして残念なことに、『リア充』は現実に存在するものではないので、永遠に届かず、そこに存在するのは『リア充』には届かない哀れな自分だけなのである。