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自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

上山和樹『「ひきこもり」だった僕から』を読む

僕は「ひきこもり」という社会問題を解決したい!

 

とかそういった意気込みはありません。

 

そもそも「ひきこもり」が解決されなければならない問題かどうかもわかりません。

 

「ひきこもりは経済にとって問題だ!」

 

とか

 

「ひきこもりは政治にとって問題だ!」

 

とかいうのは、社会に適合した人たちからの意見です。

 

「ひきこもり」といった言葉はそんな風に、社会に適合した人たちの頻繁に使う語彙となっています。

 

そういった使われ方をしている「ひきこもり」といった言葉を使うとなると、どうしても『社会にいかに適合するか』といった方向に解決を見出そうとしてしまうと思います。

 

これは当事者が自分のことを「ひきこもり」と自称するときも同様だと思います。

 

社会に適合した“立派な”人たちがひきこもっている人たちに対して投げかける「ひきこもり」という言葉で自分を表現したら、自分の何が悪くてこんな状態になっているかが見えなくなってしまうと思います。

 

実際に僕も、自分の何が原因で人と繋がりたいのに繋がれない状態になっているかがわかりません。

 

そこで、「ひきこもり」関連の本を読みながら、自分の状態をなるべく正確に捉えたいと思いました。

 

というわけで、上山和樹さんの『「ひきこもり」だった僕からを今読んでいます。

 

この本の冒頭にはこう書いてあります。

 

『僕もそうだったが、ひきこもり当事者の多くは、「ここまでおかしな状況に迷い込んでいるのは、自分一人だろう…」と思い込んでいる。その思いが、羞恥心を強め、家を出る取り組みをますます困難にしていく。』

 

この文章の通り、ひきこもり当事者はその立場上、周囲との繋がりが得られない悪循環に陥ってしまうのだと思います。

 

みんな、自分だけがおかしい状況にあると思い、自分の“おかしさ”を隠すのに必死になってしまう。

 

だから、自分の問題を語り合う場も創られず、孤立を深めていく。

 

そんな中で、ひきこもり当事者の上山さんの本は貴重だと思いました。

 

当事者の悲痛な叫びの中から、これから自分の状態について考えていこうと思います。

 

とりあえずの目標は、自分の状態をなるべく正確に把握し、自分の改善したいところを見付ける。

 

多分、自分を改善するには自分の力だけでは無理だと思う。

 

自分を改善することは、自分の周囲を改善しなければならない。

 

という風に繋がっていくと思う。

 

そうした時に初めて、「ひきこもり」は他の言葉となり、社会問題となっていくのだと思う。

 

そのためにも、まずは自分について考えていきたいです。

 

ブログを長々と書くのが苦手なので、とりあえず今日のところは意気込みだけで。。。

 

 

 

「ひきこもり」だった僕から