自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

恐怖の質問 『趣味はなんですか?』

初対面の人ととの会話の中でまず出てくる質問。

 

『趣味はなんですか?』

 

僕が一番嫌いな質問だ。

 

趣味とは一体なんなのだろうか。

 

<好きなものやことで、継続的にそれと関わり、それを趣味としない者よりも知識や能力が優っている>

 

これが僕の中での趣味のイメージだ。

 

多分、一般的にもこんなイメージだろう。

 

僕はイメージに囚われやすい人間だ。

 

だから、『趣味はなんですか?』と聞かれた時、まずこの趣味のイメージに合致しているものを、自分の生活の中から探さなければならない。

 

僕のイメージに完全に合致したものは大抵見つからない。

 

それでも、『趣味はなんですか?』の質問に答えるために、一番自分の中でイメージに近いものを答えなければならない。

 

『趣味は〇〇です。』

 

と不本意ながらも渋々答える。

 

そう応えた瞬間

 

『〇〇が趣味な人だ!』

 

と相手は僕のことを見る。 

 

と、僕は思い込む。

 

僕は相手の中に勝手に入り込み、そこから自分を見ているのだ。

 

僕はイメージに囚われやすい人間だ。

 

相手の中に勝手に入り込んだ僕の視線に、束縛されるようになる。

 

相手が

 

『〇〇が趣味な人だ!』

 

と思っているのだから、僕はそれを裏切ってはならない。

 

裏切ったら、嘘を言ったことになる。

 

この時

 

『〇〇が趣味です。』

 

 

『〇〇が趣味でなくてはならない!』

 

と変貌する。

 

変貌させたのは紛れもなく、相手ではなく、相手の中に勝手に入り込んだ僕だ。

 

僕が趣味と言い放った〇〇について、僕以外の人が、僕の知らない知識や僕のもたない能力を持っているのを知った時、

 

相手の中に勝手に入り込んだ僕は僕自身に問う。

 

『お前が趣味と言ったものは本当に趣味だったのか?』

 

<好きなものやことで、継続的にそれと関わり、それを趣味としない者よりも知識や能力が優っている>

 

僕の趣味のイメージの最後の部分

 

<それを趣味としない者よりも知識や能力が優っている>

 

が脅かされたのだ。

 

だから、〇〇が本当に趣味だったのか僕は問われる。

 

この問いを掻き消すために、〇〇の知識や能力を高めなければならない。

 

『〇〇が趣味でなければならない!』

 

趣味だったものは、いつしか努力しなければならないものとなる。

 

<好きなものやことで、継続的にそれと関わり、それを趣味としない者よりも知識や能力が優っている>

 

この時すでに、僕の趣味のイメージの最初の部分<好きなものやこと>が破綻している。

 

趣味は好きだから趣味なのではなく、趣味でなければならないから趣味となっている。

 

この状態は恐ろしく精神的苦痛を伴う。

 

苦痛に耐えられなくなった僕は、趣味から逃避する。

 

<好きなものやことで、継続的にそれと関わり、それを趣味としない者よりも知識や能力が優っている>

 

僕の趣味のイメージの真ん中の部分<継続的にそれと関わり>が崩壊し、僕の趣味は消滅する。

 

僕の勝手なイメージの世界の中で、僕は勝手に崩壊する。

 

趣味のイメージに囚われるのも僕

 

自分の趣味が趣味か監視するのも、勝手に相手の中に入り込んだ僕

 

耐えきれず逃避するのも僕

 

 

『趣味はなんですか?』

 

この質問の中に見えるのは

 

それに応えた瞬間に崩壊する運命に投げ出される僕なのだ。

 

これでは、趣味なんてもてるはずがない。

 

『趣味はなんですか?』

 

という質問にビクビクしながら、僕は無趣味で生きていく。

 

無趣味な人生ほど、意味の感じられない人生は無い。