自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

漫画『ホムンクルス』

生きていれば、自分が人を傷つけているかもしれないことに気づいてしまう時がある。

 

それは何かの競争で自分が勝っている時かもしれないし、近くの困っている人を見過ごしてしまった時かもしれない。

 

他者の心について真剣に考え始めるのは、そんなことがきっかけだと思う。

 

なるべく他者を傷つけないようにしたい。傷ついている人がいたら救ってあげたい。

 

そんなことを考えたりもする。

 

もっと考えると、これは自分のただのエゴなんじゃないか。救ってあげたいとは何様だ。

 

そんな自己嫌悪さえ生み出される。

 

ホムンクルス』は、そんな人間の心について追究する漫画だと感じた。

 

人間の心を真に追求していくならば、そこには、利己的なものと利他的なものの区別があるのではない。

 

利己的なものは常に利他的であり、利他的なものは常に利己的である。

 

一方が救い、他方が救われる関係があるのではない。

 

他者を救うことは自らを救うことでもあり、自らを救うことは他者を救うことでもある。

 

そして、救いは完結するものではなく、永久に追究し続けなければならないものだ。

 

でも、それが一概にいいこととは言えないかもしれない。

 

それが『ホムンクルス』が語っていたものだと感じた。

 

自らと他者の同時的な解放、それに付随する主人公の苦痛が、少し不気味でグロテスクに、だけど思わず吸い込まれてしまうような描かれ方がなされていて、15巻あったのを一気に読み終えた。

 

 

ここからはオチ間近までネタバレがあるので、見たくない人はそっと閉じてください。

 

 

この漫画の主人公は、大手銀行を退職した名越という名の男。

 

銀行でバリバリに働いている時は、自分が金儲けをする裏で多くの会社が潰れていることは知っていたが、そんなことは気にせず数字だけをいじって稼いでいた。

 

ある時タクシーに乗ると、運転手のおじさんが、過去に自分が潰した会社で働いていたことを知る。

 

生々しい現実を知った名越は、それ以降仕事に打ち込むことができなくなる。

 

仕事の能率は落ち、退職へ追い込まれる。

 

退職した名越は、銀行の正面の道路に車を路上駐車し、その中で生活を始める。

 

この道路は、銀行と公園に挟まれており、公園には多くのホームレスが生活している。

 

銀行で働いていた時に、公園のホームレスを見下していた名越は、ホームレスと公園で時間を過ごしながらも、ホームレスにはなりきることもできず、銀行と公園の狭間で自分探しをするかのような車上生活。

 

お金が尽きそうになった時に、見知らぬ医大生が声をかけてくる。

 

頭蓋骨に穴を開けると第六感が働くということを調べる実験に70万で協力してくれないか、と頼まれる。

 

名越はお金のために承諾する。

 

頭蓋骨に穴を開けた名越は、それ以降、ある一部の人間を見るとその人間のホムンクルスが見えるようになる。

 

ホムンクルスというのは、その人間が無意識のうちに抑圧してしまっている深層心理が、イメージとして具現化されたようなものだ。

 

例えば、男から電話がかかってきた女を見かけると、名越にはこんなホムンクルスが見えるのである。

 

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自分の身体を切り売りしているかのようであり、腰を振っている。

 

つまり、この女は心の深層ではセックスのことしか考えていないのだ。

 

ということになる。

 

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7本脚があるホムンクルスの女は、6股しているのだろう、と推測される。

 

そのようなホムンクルスが見えてしまうようになった名越は、人が弱さを隠している部分、自己防衛をしている部分が用意に見えてしまう。

 

あるとき、名越は道端で、今まで76人の小指を切断してきたヤクザの組長に絡まれた。

 

その時に、名越にはその組長が鋼鉄のロボットのホムンクルスに見えた。

 

現実で組長が刃物を出し、誰かの小指を切断しようとする時、名越にはロボットの中に悲しそうな顔をしている子どもが、自分の左手の小指を鎌で切断しようとしているのが見えた。

 

名越はそのホムンクルスに向かって、

 

「何をしてるんだ。」

 

「自分の小指を切っちゃだめだ。」

 

と呼びかける。

 

現実で組長は、左手の小指が突然震え、自分の身体に何が起こっているのかわからなくなり驚く。

 

名越の言葉によって深層心理が呼び起されようとしているのだ。

 

名越は、組長のホムンクルスに呼びかける中で、自分の過去がフラッシュバックしてくる。

 

名越は、子どものころに過って友達をトラックの下敷きにしてしまったことを思い出す。

 

それを組長に向けて語ると、同時に、組長は自分が子どものころに友達の左手の小指を鎌で切断したしまったことを思い出す。

 

2人とも、故意にやったことではないから、どうしていいかわからずその場から逃げてしまったことを告白し、その時から続く罪悪感を、泣きながら語り合う。

 

組長はその時の罪悪感を紛らわすために、自分はヤクザとなり、他人の小指を切断してきたのだということに気付く。

 

そして自分の小指を切断し、ヤクザをやめることで、罪悪感と折り合いをつけることができた。

 

その後は、名越は組長のホムンクルスは見えなくなった。組長は解放されたのだ。

 

その代わりに、名越の左腕にロボットのホムンクルスが見えるようになった。

 

ホムンクルス』は、この繰り返しによって、名越が自他を解放していく物語である。

 

この過程に、冒頭で述べた、人間が抑圧から解放されるための真理が詰まっていると思う。

 

まず、名越は全ての人間のホムンクルスを見えるわけではない。

 

ホムンクルスが見えるのは一部の人間のみである。

 

それはどのような人間か。

 

自分と同じ抑圧を持っている者だけのホムンクルスが見えるのである。

 

だから組長と抑圧を共有し、共に解放した後は、組長のホムンクルスが見えなくなったのだ。

 

きっと、僕たちは困っている人を救ってあげたいと思う時、自分と同じ抑圧を感じている人間にしかそのような感情は湧いてこないのだ。

 

だから、解放されるのは相手だけではなく、自分と相手の双方なのである。

 

利己的なことは利他的となり、利他的なことは利己的となるのだ。

 

しかし、自分の抑圧状況を直視することは痛みを伴う。

 

だから、困ってる人を救ってあげたいという気持ちだけに焦点を当てる人は多いが、それはありがた迷惑や、押しつけがましい愛になりやすい。

 

それは新たな抑圧を生み出してしまう。

 

そういう人たちが、利己的なことと利他的なことを区別して考えるのだと僕は思う。

 

そして、双方が抑圧から解放されるためには、自分を語ることが必要なのである。

 

名越が組長のホムンクルスを見て、自分の過去を思い出し、語ったことにより、組長が自分の過去を思い出し、語ったように、自分語りは無意識に抑圧しているものを呼び起こすのだ。

 

相手の自分語りを聞き、相手の価値観と、それが形作られるまでの過程の共有できることや違いを織り成していくことで、自分が抑圧しているものが明確になっていくのだ。

 

抑圧が明確になるまでに、この絶え間ない連鎖が必要なのだと思う。

 

他者を救うことは自らを救うことでもあり、自らを救うことは他者を救うことでもある。

 

最後に、組長のホムンクルスが自分の左手に転化されたことも重要だと感じた。

 

抑圧から自らを解放するといっても、解放は完結することは永遠に無いと思う。

 

名越や組長が無意識に抑圧していた罪悪感を解放したからといって、その罪悪感が消えるわけではない。

 

それからは、その罪悪感と付き合い続けなければならない。

 

考えることをやめてしまったら、いとも簡単に無意識の抑圧へと戻っていくだろう。

 

そうならないために、無意識に抑圧していたことを、永久に意識化させ続けなければならない。

 

その象徴が、組長のホムンクルスが名越に転化したということだと思う。

 

名越はそれ以降、ずっと自らの左腕をロボットのホムンクルスとして意識し続けるのである。

 

救いは完結するものではなく、永久に追究し続けなければならないものなのだ。

 

これを続けていくとどうなるのか。

 

ホムンクルス』の最終巻の終盤では、名越は街行く人間が全て自分と同じ顔に見えるのである。

 

自分の無意識の抑圧を徹底的に意識化した結果、全ての人間の無意識の抑圧を共有でき、全ての人間が自分の顔をしたホムンクルスに見えるようになったのだと思う。

 

これこそ利己的なものは常に利他的であり、利他的なものは常に利己的である、ということの究極形態なのだ。

 

クリスマスで賑わう街の、自分の顔に見えるたくさんの人間たちと笑顔で手を振りあいながら、名越は言う。

 

『ここは天国か・・・?地獄か・・・?』

 

そこから一年後に名越が隠居生活を送っている場面に移る。

 

そこには、自分は人の心をよく見ているのに、自分の心を見てくれる人が少ないことに疲れ果てた名越がいた。

 

そして最後のオチへ。

 

オチの直前まで書いたけど、オチまで言うのは忍びないのでやめておく。

 

ハッピーエンドかバッドエンドかは読んだ人によって違うかもしれない。

 

 

ホムンクルス』からは多くのことが学べた気がする。

 

利己的なものは常に利他的であり、利他的なものは常に利己的である。

 

他者を救うことは自らを救うことでもあり、自らを救うことは他者を救うことでもある。

 

そして、救いは完結するものではなく、永久に追究し続けなければならないものだ。

 

こういったことを学べるのは、人間関係において非常に大切なことだと思った。

 

でも、それを称賛するだけの作品ではなかった。

 

ホームレスのおじさんの無意識の抑圧が解放されることがあったけど、その次の日にホームレスのおじさんは自殺してしまった。

 

他者の無意識の抑圧を解放することは、時には人を苦しめるのである。

 

抑圧することで自分を保っていた人が、抑圧が顕になった時、耐えられるのかはわからない。

 

他者の無意識の領域に踏み込むことは危険を伴う。

 

また、主人公の名越は、利己的なことと利他的なことの一体の究極形態に達した時に、疲れ果ててしまった。

 

世の中では利己的に振舞う人間が圧倒的に多いため、名越のようになると不利益を被ることが多いのであろう。

 

無意識の抑圧の意識化には、そんな負の側面も見逃せない。

 

それでも僕は、『ホムンクルス』からポジティブなものを多く学べたと感じている。

 

今まで見た漫画で、一番ゾクゾクした。

 

 

この記事で述べたことは非常に一面的だし、おもしろいシーンは盛りだくさんあるし、ラストシーンの狂気性は特に、画と共に味わなければわからないので、興味もった方は是非実際に読んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

ホムンクルス 1 (BIG SPIRITS COMICS)

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ホムンクルス 15 (ビッグコミックス)

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