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自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

本当の自分は探しても無駄

本当の自分は一体どこにいるのか。

そもそも本当の自分なんて存在するのか。

 

僕は中学くらいの頃から、「こんなのは本当の自分じゃない!」と何度も感じてきた。

学校の先生の前にいる時、塾の先生の前にいる時、友達の中にいる時、家族の中にいる時

いつだって「こんなのは本当の自分じゃない!」と感じてきた。

 

「こんなのは本当の自分じゃない!」と感じてしまうのは何故かわかっている。

相手が自分の一つの側面だけしか見てくれないからだ。

相手に自分の一つの側面しか見せることができないともいえる。

 

相手の期待に応えよう応えようと頑張って優等生をやってきた僕は、

相手に自分をよく見せようとしてしまう。

相手との会話の中から、相手が気に入ってくれる性格を推測して、それになろうとする。

そこで「君って明るい人だよねー!」と言われれば、明るさを保とうと頑張ってしまう。

すぐに相手が自分に持っているであろうイメージに縛られてしまう。

相手が思いもしないだろう自分の部分を晒してしまった時はとても恥ずかしくなる。

そんな時は被害妄想が昂じて、嫌われてしまったとかなり落ち込む。

嫌われてしまったと思い込み、こちらが勝手に相手を無視して自分を守ることもよくあった。

それくらい相手の期待に沿うことに重点を置いて生きてきた。

 

僕はどこでも“いい子”を演じるような生き方しかできなかった。

親が求めている子どもになろうとしてきたのが一番大きいと思う。

「学費稼ぐために仕事大変だよ~。パートで給料は少ないし~。」

「塾は月謝高いんだから、休まず行ってよね。」

そんな親のふとした言葉の数々が、僕をそうさせてきたのだと思う。

今思えば恩着せがましい言葉だな、と思う。

けど、子どもの頃は、「親が自分のために苦労してくれている!頑張んなきゃ申し訳ない!」と本気で思っていた。

そうして“いい子”ができていったのだと思う。

学校でも塾でも“いい子”は求められる。

それが拍車をかけて、僕をどんどん“いい子”に追い込んでいった。

 

表面ではどこでも“いい子”を演じていたから、裏では悪いことをたくさんしてきた。

ドラマに出てくる優等生の万引きみたいな典型的なパターンだ。

“いい子”を演じている反面、悪いことをしないと自分が保てない。

“いい子”を演じている時に感じる「こんなの本当の自分じゃない!」は、悪いことをすることで解消できる。

それでバランスが取れていた。

悪いことをしている時の自分が“本当の自分”なのだろうかと、悩むこともよくあった。

 

でも僕は最近やっと気付いた。

“本当の自分”なんてどこかに存在するものではないんだな、と。

「“本当の自分”というのは〇〇の自分です!」とは言えないと思う。

「こんなの本当の自分じゃない!」という言葉の中でしか“本当の自分”は出てこない。

僕はいつだって消極的な意味で“本当の自分”という言葉を使ってきた。

 

でも不思議なことに、「こんなの本当の自分じゃない!」を何度も続けていると、

どこかに“本当の自分”が存在しているかのように思えてくる。

積極的に“本当の自分”を見つけようと頑張ろうと思うこともよくあった。

でも“本当の自分”を積極的に探しても、見つかることはなかった。

それはどうしても“本当の自分”を演じる自分になってしまった。

ありもしない“本当の自分”を探すことなんて無駄なのだと思う。

 

どこかに“本当の自分”を想定するのではなく、どこにいても「こんなのは本当の自分じゃない!」と疎外感を感じてしまっていることを見つめることが大切だと思う。

“本当の自分”は疎外感とセットだ。疎外感がなければ“本当の自分”なんて考えない。

でも残念なことに、世の中には“本当の自分”探しを誘発させるものが溢れている。

その反面、疎外感を感じていることを言える場は極端に少ない。

人の目ばかり気にしている人間だからこそ、そんな世の中の空気を読んでしまう。

そうすると“本当の自分”探しの流れにのってしまい、“本当の自分”探しが止まらなくなる。

そんな世の中だから、“本当の自分”と疎外感がセットだという当たり前のことに気付かなくなってしまう。

だから、「こんなの本当の自分じゃない!」と疎外感を感じていること自体を考えたり、声を大にして言える場を作ることが大切だと思う。

自分にとって切実なことを考えたり、言っている人間は、“本当の自分”なんて考えずに済む。

僕にとってはブログに書くことがそういう場になっているし、来年の卒論でもそのことについて書いてやろうと思う。

疎外感についての本を読んでるけど、めちゃくちゃ楽しい。

そういう時は“本当の自分”なんて考える暇もない。

ミュージシャンでもアーティストでもマンガ家でも、自分の疎外感を作品の中で昇華している人も少なくないと思う。

そうやって生きていけば“本当の自分”問題は大して気にならなくなるのだと思う。

 

P.S.

Twitterは一つの側面に縛られていない自分の独り言を、人に見てもらっていると考えることができるから、僕のような人間はTwitterにはまるのだと思う。

でも普段は文字だけの鬱ツイートしているのに、リプライが飛んでくると急に『(^o^)』こんな明るい顔文字使ったり、『(笑)』とか使って印象を柔らかくしようとしてしまうので、人の目を気にしてしまうパワーは凄まじいな、と毎回思ってしまう。