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自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

自然や他者を横断し、鼓動する心―Coccoの『Heaven's hell』を観た。

 CoccoHeaven's hell (通常版) [DVD]を見ました。とてもよかったのでおすすめします。(ネタバレします)

 

 このDVDは、2001年に活動休止をして沖縄に戻ったCoccoが、自分の思い出の中の沖縄の綺麗な海と現実の沖縄の汚い海のギャップに苦しみ、二年間一人で海のゴミ拾いをしていたが途方もない作業であったので、ゴミ拾い中に自分が歌っていた『Heaven's hell』の演奏会を8月15日に開き、沖縄の子どもたちと合唱をすることで、『もしも歌が届いたら ゴミを拾ってね』というメッセージを沖縄の人に伝えようとした姿を追ったドキュメンタリー。

 

  『みんなさ、おいでよ沖縄!、とか、リゾートみんなの優しい楽園!みたいな感じで言ってるけど、自然破壊はしてるわけよ。そこに矛盾があると思うわけ。沖縄は第三者を責めすぎだと思う。米軍基地があるからどうの、何があるからどうの…でもその前に、自分の足元にあるゴミを拾ってから文句言いましょうって話なわけ。』

 

 と語っているCoccoは、実際に二年間一人で海のゴミ拾いをしていた。しかしそれに限界を感じたため、演奏会を開いて自分の思いを伝えようと、沖縄県内の中学・高校を直接訪問し、一緒に演奏と合唱をしてくれる仲間を集めに行く。

 

 なぜ子どもたちと演奏をしようとしたのか、それは演奏の練習中に子どもたちへ向けたこんな言葉に表れてる。

『あっちゃんさ、みんなくらいの時さ、何かよ、無くすと思って怖かったわけ。今持ってるものをさ、大人になるってさ、上手に忘れたりさ、上手に置いていったりすることだと思ってたから、そのまま持って大きくなれないっていうの、無くすのが怖かったわけ。だけどさ、持っておけるわけ。それも言いたかったわけさ。だから大人になるのさ、怖がらないで欲しいと思った。なんでかって言ったらさ、持っておこうと思ったらさ、持っておけることがいっぱいあるしさ、忘れないでおこうと思ったら、忘れないでおけることいっぱいあるわけさ。』

 この言葉と共に、15歳の時から持っている歌である『Raining』歌って聞かせたCoccoは、自らが子ども時代に抱いていた恐怖や不安を、今の子どもたちも感じているだろうと子どもたちの心の中に想像を巡らせ、子どもたちと演奏をしたいと思ったのだろう。

Coccoも彼らくらいの時に、とっても何もできないと思っていて、でも何かものすごいことができるかもとも思っていて、やらないと何も始まらないしできないということを見せたかった。あっちゃんがさ運動場100周するのを見たらさ、一周は付き合ってくれる人とか出てくるわけよ、やっぱり、でもそのためにはやっぱり100周走らないといけなくて、その100周走らないと人を動かせないってこととか、Coccoは知りたかったわけ、彼らくらいの歳の時に。』

 と、筑紫哲也のインタビューの中で語られるCoccoの言葉からは、子どもたちへの真摯な姿勢が窺える。

 

 また、

『この歌を歌おうと思った時に、衝動的に、アメラジアンスクールと沖縄の子どもたちと、っていうのがあって。』

と述べてるように、Coccoアメラジアンスクールの子どもたちも合唱に招待する。

 アメラジアンとは、アメリカ人とアジア人の両親の間に生まれた子どものことであり、日本では米軍基地のある沖縄県に圧倒的に多い。反米感情や反基地感情の高まりから、在日米兵と結婚した日本人女性は差別されたり、アメラジアンの子どもが外見だけでいじめられたりと、不当な扱いを受けやすい。

 

 なぜCoccoアメラジアンスクールの子どもたちと合唱をしたかったのか。想い事。の中に次のような言葉がある。

 人生において あの人と出会っていなければ 私は今、存在していなかっただろうという出会いは幾つかある。

その人が、その一人だった。“愛してる”だけじゃ届かない世界で “愛すること”しか知らなかったあの頃の私に、あの出会いは絶対だった。

父親の記憶が朧げなその人は 米国軍人と沖縄人との間に生まれたアメラジアンだった。

 

沖縄の人は皆、やさしい。大抵の人は口を揃えてそう言う。懐が深く、慈悲深い、と。

ところが私はその人の側で 愛する沖縄が容赦無く 彼に過す仕打ちを見てきた。

誤解を恐れずに言うなら基地の存在を否定することは 彼の存在を否定することだった。

それでも米国軍人による犯罪や事件は途絶えることが無く、沖縄が傷付けられ虐げられてきたことも紛れも無い事実だ。

“YES”も“NO”も私は掲げてこなかった。 こんなの戦時中で言うなら間違いなく非国民だ。

でも、“YES”か“NO”かを問われることは 残酷だという事を知ってほしい。

 Coccoはかつて愛した人との経験から、アメラジアンスクールの子どもたちの心の中の恐怖や不安に想像を巡らせ、一緒に合唱をしたいと思ったのだ。

 演奏の練習中に沖縄の子どもたちに

『沖縄にアメラジアンって言葉があるってこと、知ってほしいわけ。とにかく知らないことは罪だと思うから、知って、まず知ること、そして考えること、で行動することだから、行動までいかないにしても、みんなが知っておくべきだと思うわけさ。』

と真剣な眼差しで語る姿からは、その思いの強さが窺える。

 

 そうしてできた総勢200名を超える仲間と8月15日に繰り広げられた『Heaven's hell』の10分足らずの大合唱は、アメラジアンと沖縄人、誰一人の尊厳も傷付けずに、沖縄の海へ素直な愛を叫ぶという、僕たちがしばしば夢想する、各々の人間と自然の平和な共生というユートピアの一つの形なのではないだろうか。

 

 海を綺麗にしたいというのも、アメラジアンスクールと沖縄の子どもたちと合唱をしたいというのも、全て始まりはCoccoの極々個人的な気持ちであり、それは一つのエゴだったかもしれない。しかし、そのエゴは結果として、大勢の人間を巻き込むほどまでに広がりを見せながら一つの調和を成し遂げた。それは沖縄の観光産業と自然破壊の矛盾、基地反対という平和を叫びながらアメラジアンへの差別を生み出しているという矛盾、それらの問題に簡単に“YES”も“NO”も掲げることをせず、目の前の人間、目の前の自然の愛と痛みを直視し、その両方を引き受け続けるCoccoだからこそ成し遂げることができたものだろう。

Heaven's hell』の歌詞の初めの「今 やっと首に手を掛け やさしい話を手繰ろうと」の部分が、英語では「Now I'm ready to die and I want to look for some sweat stories」となっていることから、ゴミゼロ大作戦の演奏会のようなやさしい話の裏には、死ぬ覚悟が無ければ引き受けられないほどの痛みがあったということが窺える。

 

 しかし、その飽くなきまでに正直で崇高な姿勢は、手放しに称賛してよいものではないだろう。この演奏会から4年後にCoccoは拒食症となってしまう。そのことについてpapyrus (パピルス) 2009年 10月号 Coccoはこう語っている。

 食べなければ罪悪感を感じない。何でかっていうと、命をとらないし、大地の恩恵を受けなくてもいいから。私は大地にも、豚にもごめんなさいって言わなくてもいい。やっぱ命をいただくっていうことは責任があることだから、その小さい責任が毎日ちょっとずつなわけじゃん。

 

 人間の汚さと自然の痛みを、文字通り一身に引き受けているのである。

 

 そんな生き方を無責任に称賛することも、人に勧めることもできないし、真似してできるものでもないだろう。

 それでもなお、自然や他者を横断し、鼓動する心を持っているCoccoが痛みと共に創り上げた作品を見て、その生きざまに触れ、そしてそんな人間が同じ時代に同じ世界に生きているということを知ることは、僕たちの生の可能性を少し広げてくれるのではないだろうか。

 

 

 

 Coccoの魅力はこんな記事では全く伝わらないので、是非実際に作品に触れることをお薦めする。

 

 

Heaven's hell (通常版) [DVD]

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Heaven's hell (初回限定版) [DVD]

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想い事。

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papyrus (パピルス) 2009年 10月号 [雑誌]

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大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-(初回限定盤) [DVD]

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大丈夫であるように-Cocco 終らない旅- [DVD]

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papyrus (パピルス) 2014年 10月号 [雑誌]

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 ちなみに、僕がHeaven's hell [DVD]の中で一番好きなシーンは、Coccoが子どもたちにこう語りかけるところ。

 

『あっちゃんさ、みんなの期待に応えられるくらい脳みそ大きくなくてからさ、ここにいる人数だけでもみんなの名前覚えきれないわけよ。忘れたくないけどさ、ごめんね、覚えられないわけみんなのこと。だから、もしさ、道歩いてて見たらさ、教えて欲しいわけ、あっちゃんによ。「あっちゃん自分だよ。」って教えて欲しいわけ。そしたら多分思い出せるからさ。もしさ、街で会ったらさ、あっちゃんって言ってからさ、あっちゃんに思い出させてほしいわけ。“みんな”っていう言い方しかできないでさ、本当は一から千まで全部名前呼ぶべきなのに、“みんな”って呼び方して、でもそのみんなに支えられてるってのはわかってるんだけど、やっぱりできないところいっぱいあるから。しかもみんな成長期で顔とか変わるんだろ、だからさ教えて欲しいわけさ。だから、みんな、あっちゃんもし道で会ってわからないでも、お願いだからショック受けないでね。あっちゃんいつも絶対さ、嘘つかないでできるように頑張るからさ、頑張るから、もしそれがさ、そのやり方がいと思ってくれるんなら、またみんなに手伝って欲しいわけ。だから、いつもみんなに恥ずかしくないようにあっちゃん頑張るからさ。』