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自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

鳥飼茜さんの『先生の白い嘘』を読んで考えたこと。フェミ寄りの人のことが気になりつつも、どこか近づきがたさを感じてしまうことについて。

ブログ 漫画

 

 最近、巷で話題になっている『先生の白い嘘』を既刊されている3巻まで読みました。男と女の不平等というものを、性の問題を軸に追究していく物語です。2巻の巻末に、萩尾望都さんもアツいメッセージを載せています。

 萩尾望都さんは「男達よ。ページごとに谺する、女の叫びを聞くが良い。」と述べてますが、この漫画には女の叫びだけではなく、ある特定のメンタリティを持つ男の叫びも含まれているように思います。それも的確に。そして、その叫びは僕個人の問題にとても共振するものだったので、この漫画の物語を通してその問題について考えていこうと思います。

 ネタバレがあるので、ネタバレが嫌な方は見ないでください。また、僕が焦点を当ててるのは登場人物の二人の人間だけですが、この漫画は本当にたくさんクセのある人間が登場して面白いので、是非読んでください。

 なお、ブログの題名に「フェミ寄りの人」と書きましたが、フェミ寄りの人にもフェミニストにも当然いろんな人がいるので、ここでいう「フェミ寄りの人」というのは、『先生の白い嘘』の主人公である美鈴先生のような人を想定していることを先に述べておきます。

 この漫画の登場人物の僕が自分と共振すると思った人物は、人妻にレイプされEDになった生徒の新妻君です。以下では新妻君と美鈴先生のそれぞれの特徴を整理しながら、二人の関係の中で起こっていることを観察し、なぜ僕がフェミ寄りの人のことが気になりつつも、どこか近づきがたさを感じてしまうかという個人的な問題について考えていこうと思います。

 

 新妻君は、先にも述べた通り、人妻にレイプされたことがトラウマとなり、EDになっています。「女の人のあそこが怖いんです」と美鈴先生に悩みを打ち明けた新妻君は、自分の心境を美鈴先生に対して次のように述べています。

「その人…バイト先の社長の奥さんで…青田さん…その奥さん仕事でも優しくしてくれていい人だなって。でも俺一回もその人のこと好き…とか思ったこともなかったのに、行ったんです…ホテル。あの日どこまでが俺の「そうしたかった事」なのかわかんないんです…今も。先生もセックスはいつだって男のせいって思ってますか。その人はそういう風に言ったんです。あの時直前になってやっぱ違うって思って、「ここまでついて来たけどできませんでした」って謝ったんです。でもすでに遅かった。空気が…もうそれまでと違ってたんです。それまでのすごい親切な俺の知ってる青田さんじゃなくなってた。俺なんかその空気にのまれると思って、のまれたら終わりだなって気がして、フタしたんです。怖いって気持ちに。そしたら段々…途中から俺わかんなくなっちゃったんです。違うし嫌だって思ったのに、もしかしれこれ自分の意志なのかなあ?って。確かに怖いって逃げたいって思ったのに、逃げないでそこに居続けたのはなんで?って。」 

 

 「空気にのまれる」という表現があるように、新妻君は空気のようなものに圧力を感じています。もっと敷衍して言えば、実体のない象徴的なものに圧力を感じやすい人間だと言えます。その圧力は新妻君の生理的な嫌悪感にフタをするほどのものです。『優しい』『社長の奥さん』という象徴的なイメージの強さにより青田さんの誘いを断ることができずホテルに連れてかれ、一度は無理だと謝ったものの、豹変した青田さんの醸し出す空気にのまれセックスをせざるを得なかったと想像することができます。「男だもん…。本気で逃げようと思ったら力ではね返すことはできたでしょう?」という美鈴先生の質問に対し、

「力じゃない暴力もあると思います…。暴力の前でやるしかないから…やったんです。」

 と応えているように、新妻君にとって実体のない象徴的なものは暴力になり得るのです。暴力によってセックスをせざるを得なかったという思いがあるので、新妻君は奥さんとのセックスが果たして自分の意志だったのか、自分に責任があるのか、ということに疑問を感じざるを得ません。暴力のあるところに意志と責任は生じえないからです。

 新妻君は、象徴的なものの圧力を感じてしまうがゆえに、自分の身体性を抑圧してしまっている人間であると言えます。

 

 一方で、美鈴先生はどうでしょうか。美鈴先生も親友の彼氏にレイプされたというトラウマがあります。新妻君が「確かに怖いって逃げたいって思ったのに、逃げないでそこに居続けたのはなんで?って。」 と自省したことよって、美鈴先生は自らがレイプされた過去を回顧し、自分の中でその質問に次のように応えます。

「私が声をあげることをしなかったのは、ある可能性に気づいたから。すべて私の、すべて女の自分のせいという可能性。生きてるだけでこんな目に遭う、私が女のせいで。女が女というせいで。」

 美鈴先生は、自分が女であることを原因としています。「確かに怖いって逃げたいって思ったのに、逃げないでそこに居続けたのはなんで?って。」という疑問に対し、男と女の身体の構造上の違いを挙げています。男の方に圧倒的な腕力があるため、美鈴先生は逃げることができなかったのです。美鈴先生にとって、男の身体は暴力となり得るのです。そしてそのことは女である自分の身体の否定=抑圧となっています。美鈴先生は、男と女の身体の違いと、それに付き纏う暴力性を感じてしまうがゆえに、自らの身体性を抑圧してしまっている人間であると言えます。

 

 新妻君と美鈴先生には、暴力性に対して敏感であるということと、自らの身体性を抑圧してしまっているということに類似性がある一方で、暴力性を感じやすいものの内容が、新妻君は象徴的なものであり、美鈴先生は身体の構造上のものであるという相違性があります。類似性は二人を惹きつけるものであり、相違性は二人の間にどうしようもない溝を形づくるものになります。

 

 例えば、新妻君が美鈴先生に「女の人のあそこが怖いんです」という悩みを打ち明けることができたのは、美鈴先生が「新妻君が誰かと不倫したなんて本当でも嘘でもどっちでもいい。少なくとも私には興味ない。これは利害なの!わかる?学校として生徒が「不倫してる」じゃ困るの。」というような『先生』として全く相応しくない発言をしたことがきっかけになっています。象徴的なイメージの圧力を感じやすい新妻君にとって、『先生』として相応しくない振る舞いというのは救いに見えたのでしょう。「あの、先生は本当のことか嘘の話どっちが聞きたいんですか…?」という新妻君の『先生』というイメージの暴力性を暴くような態度に対して、美鈴先生がそんな振る舞いをできたのは、『先生』という一般的なイメージを信じて疑わずに『先生』をやることの暴力性を感じていたからです。(職員室での美鈴先生のモノローグはまさにそのようなものです。)新妻君の苦悩の打ち明けを発端に、二人は自らの体験をもとに、セックスの責任について話し合います。そして、新妻君は以下のように意見します。

 

 よく…わかんないですけど、男ってだけで先生がそんなに怒ってるなら悲しいです。だって俺男に生まれたくて生まれたんじゃないし、先生も好きで女に生まれたんじゃないわけで。両方選べないのは同じなら、男とか女だとかで争わない方法があるんじゃないですか。なかったら俺も先生もこの先救われなさすぎます。

 この言葉を受け、美鈴先生は涙を流し、自分の意見を真っ直ぐに新妻君にぶつけます。新妻君は涙を流した美鈴先生に対し、優しくポケットティッシュを差し伸べます。美鈴先生の涙は象徴的なものとは対極にある感情的なものであり、それは新妻君に救いの可能性を示唆しています。この時にEDである新妻君が勃起したのはその象徴でしょう。他方で、新妻君が優しくポケットティッシュを差し伸べたことは、美鈴先生をレイプした男が投げ捨てるように渡してきた箱ティッシュの対極のものであり、それは暴力とは結びつかない男の身体として美鈴先生に救いの可能性を示唆しています。お互いがお互いに救いの可能性を垣間見たのは、二人が暴力性に敏感であるという共通性を持っていたからだと言えます。

  しかし、救いはそんな簡単なものではありません。二人の関係には、暴力性を感じやすいものの内容が、新妻君は象徴的なものであり、美鈴先生は身体の構造上のものであるという圧倒的な相違性も含まれています。

 3巻の中で、美鈴先生がある男に心身を支配されているかもしれないと考えている新妻君が、美鈴先生の家を訪ねる場面があります。そこで新妻君は先生に対して、何かあった時のために防犯ブザーをプレゼントします。この新妻君の行動は、先生は本当に助けてもらいたいのだろうか、と迷ったあげく、少しでも助けになれればと思ってのものなのですが、『美鈴先生の家を訪ねる』ということ自体が、美鈴先生に暴力を感じさせるものになってしまいます。家という空間に男と二人きりになるということは、美鈴先生にとっては身体的な暴力を振るわれたら勝ち目が無く、従わざるを得ないことを意味するからです。

 新妻君前にさ、人妻に…レイプされたって言ったよね。すごく怖かったって…。もし私があなただったら、絶対にこんな所へのこのこやって来たりしないよ。本当に女に自分の体の自由を侵される恐怖を知ったんなら、女と二人きりになんか…二度となれないと思わない?

  という言葉と共に、美鈴先生は新妻君からもらった防犯ブザーを、新妻君に行使します。新妻君は慌てふためき、美鈴先生を押し倒し、美鈴先生が叫び声をあげないように美鈴先生の口を手で塞いでしまいます。ここで二人は、自分を守るために相手にとって最も暴力になる手段を取ってしまっています。防犯ブザーというのは、『不審者』『危険人物』というレッテルを相手にはり、それを周囲に知らせる行為です。象徴的なものや空気に圧力を感じやすい新妻君にとってこれほどの暴力はありません。だからこそ新妻君は慌てふためき、即座に逃げていったのでしょう。一方で新妻君が自分が悪いレッテルを貼られることから守るために行使した力は腕力であり、言うまでもなく美鈴先生にもっとも暴力を感じさせるものです。

 

 暴力性に敏感であり、自らの身体性を抑圧しているという共通性があることで距離が縮まった二人ですが、暴力性を感じやすいものの内容が、新妻君は象徴的なものであり、美鈴先生は身体の構造上のものであるという相違性のため、その関係には常に離反する力が含まれています。

 新妻君が美鈴先生と距離を縮めれば縮めるほど、美鈴先生は男と女の身体構造の違いを意識させられ、自らの身体性を抑圧せざるを得ません。そして、それに対する防衛として、防犯ブザーに象徴されるように、男の身体に対して『危険』『暴力』というレッテルを貼ることになります。一方で、象徴的なイメージの圧力に悩まされる新妻君は、一度は救いの可能性を感じた相手に『男の身体』=『危険』『暴力』というレッテルを貼られることにより、それを強く内面化して、自分の身体を抑圧してしまいます。

 俺、先生好きです。先生のこと好きだから、先生の嫌いな奴が嫌いです。先生の敵が俺の敵です。男が敵なら、俺も自分のこと許さないです。許せないし、いなくなりたい。

 3巻の終わりに、新妻君が美鈴先生に電話越しで述べた言葉はそれを象徴しています。それに対し、美鈴先生はこう応えます。

そんな必要ないよ。私は私が敵なのよ。だから私を許すことができない。

 二人とも、自分を責めてしまっています。

 この二人の関係には、暴力性に敏感であり、自らの身体性を抑圧しているという共通性があることで距離が縮まりやすいが、暴力性を感じやすいものの内容が、新妻君は象徴的なものであり、美鈴先生は身体の構造上のものであるという相違性のため、距離が縮まると相違性が目立ってしまい、それが、暴力性に敏感であり自らの身体性を抑圧しているという共通性と相まって、お互いが自分の身体性をさらに抑圧してしまう可能性があるのです。

 

 これは僕と、美鈴先生のようなフェミ寄りの人との関係にもそのまま言える問題なのだろうと思いました。確かにそういう人の考えてることや勉強してることは自分も共通性を持っているため興味があるけど、「男は〇〇だ」「男体持ちは〇〇だ」のように言われてしまうと、新妻君のように自分は気にしすぎてしまい自分の身体に対して居心地の悪さを感じてしまっているのだと思いました。一方で声には現れなくとも、僕が男の身体を持っているというだけで暴力性を感じてしまう人がいるのも事実であり、それに自分は気が回りにくいと思います。果たしてそこには、「両方選べないのは同じなら、男とか女だとかで争わない方法があるんじゃないですか。」と新妻君が述べたような方法は存在するのでしょうか。

 3巻の終わりは、電話で新妻君に対して「私は私が敵なのよ。だから私を許すことができない。」と述べた後に、一人で号泣した美鈴先生の以下のようなモノローグが描かれています。

 いつまでも止まらなければいいと思うほど、その涙はあたたかかった。

 お互いが自分を責める中にあっても、まだ救いへの道が示唆されているように思えます。 

 これは自分の問題でもあるため、自分でも考えながら、続編を楽しみに待っていたいと思います。

 

 

先生の白い嘘(1) (モーニング KC)

先生の白い嘘(1) (モーニング KC)

 

 

 

先生の白い嘘(2) (モーニング KC)

先生の白い嘘(2) (モーニング KC)

 

 

 

先生の白い嘘(3) (モーニング KC)

先生の白い嘘(3) (モーニング KC)

 

 

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